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パープル&インギー パートⅡ「湯島の夢」

湯島は高校生の頃から(フォーク→エレキ)ギターを弾くものの、これまでいっこうに上手にならなかった。才能がないのもそうだし、なんせ飽きっぽいというのがいけないのだ。好奇心と言うか老婆心というか浮気性というか趣味が多岐にわたってしまってギターならギターぐらいは限界までディシプリンするぞ・・・修行するぞ修行するぞなんてオウム真理教の信者以下になってしまっている(どういう意味だかオレもわからんぞなんだこの表現は)のだ。年齢がいってしまった今では普通にフォークのアルペジオさえままならぬ状況になっている。


あの頃はみな髪の毛を伸ばして誰もがギターぐらい弾けた時代だったが、みなフォーク歌手になってやろうとかバンドやるぞとか思わなかった。あの時代には、己のギター演奏力や歌唱力などにはよほどの自信や周囲に認められることがないかぎり“バンドやろう”などとは思わないものだった。それがうまくいくのは育ちのいい金持ちのボンボンだけであった。charや坂本龍一さんに桑名正博さんなどがそうだよね。


飽きっぽい僕が、一応はめんどくさいコード押さえなど通過して普通にギター弾けるぐらいになった自分に驚きだったが・・・。今ではどのくらいの素人ギター人工になっているのだろう?


YouTubeなどを閲覧すると無名の人たちが軽くイングヴェイぐらい弾けてしまったりするのに驚く。


60~70年代はクラプトン、ベック、ブラックモアに傾倒してコピーしようとして頑張ったりしたもんだが(結局コピーできていない)、80年代にイングヴェイが出現してきて、かっこいいクラシカルなフレーズを早く弾く奏法に憧れたものだ。で・・・これぐらい早く弾ければ女にもモテモテだろうなあ・・・なんて短絡的な考えが先行してしまったりしたが、その欲望も弱いので(笑)、ま、結局は何にもならない。ただの飽きっぽい才能のない普通の男だったわけである。


イングヴェイフレーズ弾ける人が羨ましい。僕の夢なんかたかが知れてるけど、イングヴェイぐらい弾ける様になりたいなあ・・・。


あ、今、寺内タケシがBSに出てる。昔は神さまだったけど、今見るとたいしたものでもないんだなあ。まさに三味線なのである。垢抜けない日本ギタープログレという格付けまではできると思うけど・・・うーん・・・映像見ると「キムジョンイルがギター弾いてる」みたいな感じである。


ここにも大嫌いな中山秀征が司会をしている。なんでこいつばかり使うんだろう? ナベプロには他に人材がいないのかな?


オックスの真木ひでとってレイジーの景山ヒロノブってなんか感じが似てる。


カルメンマキ&OZギタリスト春日博文様の消息

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今日、何気なく書店で 「韓国語ジャーナル」 (㈱アルク発行 ISBN978-4-7547-1544-7) なる雑誌を目にして思わず購入しちまった。wowwowの「食客」にハマッテしまって、韓国料理にもハマッテしまって、ほんじゃ韓国旅行でもしてみっか・・・ってな意識が、僕のinにもたげ始めてしまったのである。


で、びっくりした。そして・・・俺ってなんという妙な運を持っているのだろう? と感心してしまうのであった。その雑誌には「ハチ&TJ」という韓国のミュージシャンが載っていて、そのハチ&TJの写真を見ながら記事を読んでいると、ハチってのが70年代にカルメンマキ&OZで大活躍したハードロックギタリスト春日博文様のことじゃないの? 驚いた。


しかし・・・写真は妙に垢抜けたおじさんであって、昔の変な汚いイメージが払拭されてしまって、なんだか残念な感じである。


ま、とにもかくにも、春日さんは韓国でたくさんのミュージシャンを育てているそうで、自らもTJ(チョ・テジュン)さんと一緒にデュオ組んでCDをリリースしているそうだ。ちょっと聴いてみたいな。とりあえず「私は風」「午前1時のスケッチ」「閉ざされた町」「六月の朝」でも引っ張り出して聴いてみっか?


ハチ&TJ 「1集」 (KJ2816) 発売中で、続けて「2集」も近くリリース予定だそうだ。


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ハチ&TJ 左が春日博文様である

イングヴェイ&パープル最終公演にジョンロードが登場したわさ!!!

ディープ・パープルに関しては音楽雑誌ストレンジ・デイズ2005年5月号を読みましょう。



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ツアーTシャツ 「イングヴェイって誰?」タイプ Mサイズ 表と裏


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パープルのパンフ。デザインも悪いし中身も無い。これで2500円って・・・これこそ無駄遣いであった。金返却してっ! ま、ジャニーズよりましか

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2009年4月15日東京国際フォーラム ホールA 1階 48列 13番&14番から舞台をのぞむ(i-phoneで撮影のものを補正したもの)。開演1時間前。


今日は眠いから、記事は明日書きます。うふふふ。


さあ、明日になりました。うふふ。


昨日は・・・うーん・・・昨日とか明日とかうっせええなあ(笑)。ま、いいや。昨日はイングヴェイ&パープル公演を見聞きしてきました。


書いていたらあまりにも長くなってしまったので、先に要点のみ箇条書きします。


1.会場後、会場内には「本日はイングヴェイ・マルムスティーンの日本公演にお越しいただきありがとうございます」と女性のアナウンスが流れた。イングヴェイがメインだったのか? と思っていたが・・・第1部はインギーだから第1部のことを指してそう言ったのだろうな。しかし、第2部に「ディープパープルの日本公演に~」といったアナウンスは流れなかったように思う。でも、1部、2部って分離していて、それぞれが単発でコンサートやるってのは変だよなあ。パープルの連中はインギーは前座だと考えているんだろうなあ。事実そうだったりしてね。


2.キーボードのドン・エイリーのソロ演奏場面にて会場が暗転したのちに明るくなるとジョン・ロードがキーボードを弾いていた。オフェラグラス(あたしのオペラグラス)で確認しても、ジョン・ロードであったよ。間違ってたらすいません。


3.開演は7時。イングヴェイは1時間ちょっとの演奏。その後、パープルの舞台設置に30分。パープル演奏は1時間50分で、公演終了は10時20分ぐらいになっていた。


4.イングヴェイがパープルに合流する「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の前の「スペース・トラッキン」演奏中のことだ。イングヴェイのマーシャルアンプが会場の隅に設置されたら、スティーブ・モーズのギターの音が出なくなった。 (インギーのマーシャルのコロ車がモーズのケーブルを踏んで断線したのかと思ったら、モーズが転んでケーブルの調子が悪くなったようだ。2chに前方で見ていた人が着込んでいた) 慌てるモーズ。そこへイアン・ギランがやってきて、モーズになにやら言っている。「イングヴェイのアンプを設置したら俺の音が出なくなっちまったよ」みたいなことをモーズが言ったようにオフェラグラスには見えた。そしたらギランが怒ってイングヴェイのマーシャルアンプを手で奥に押しやった。イアン・ギラン(パープル全員かもしれない)はイングヴェイが嫌いなんだなと見た。


5.イングヴェイ合流は「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の1曲のみ。モーズとギター合戦は「アクロバット奏法」ではモーズの負け、きっちりとした演奏ではイングヴェイの負け。モーズは控えめで人のいいギタリストと見た。このときも前曲のトラッキンからの影響によってモーズのギターの音がきちんと出ていなかった。


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で、ミナサンご承知のようにあたしは音楽好きではあるけれど、バンド編成や遍歴やバンドメンバーの生涯、さらにはアルバム、楽器等の“音楽全般知識”に関しては「無知状態」なのである。そんなものどうでもいいと思っているからである。でもそれではブログがまとまらない。「今日はなんだか知らないけどよい音楽を聴きました終わり」ではなんのことやらさっぱりわからないではないか? ブログはあたしの音楽視聴遍歴の覚書きなのであるから・・・してさ。


んで、湖の決心をしたというわけである。


アゲイン、んで、概要を伝えることもできないので、多少は調べてみっか的な実にいい加減な気持ちでこれを書いているわけである。


今回のディープパープルなんて彼らの全盛時には、50歳過ぎたあたしなんて痩身のブ少年。か細いラッパパンタロン継ぎはぎGパンを穿いた長髪のイケナイメンで、彼らの公演会場にだって行こうと思えば行けたのであるよ。第二期、第三期はね・・・。71年の日本公演にだって行けた・・・あれ14歳だったのか? 可愛い僕。メルシィボクゥほんじゃ行けないか? 14歳じゃね。でも再結成の84年には行けたのにさ。


いまだに過去の名誉を引きずる奴らみたいなこと言われてるけど・・・きっとコンサート会場に行ったことがないあたしに神様はチャンスを与えてくれたのだわ・・・ありがと産休、マイゴッド。きっとこれが彼らにとってもあたしにとっても最後のチャンスだったわけよ。


94年から加入したスティーブ・モーズって方には興味が無かったけど、今回はイングヴェイがメインだったのである。イングヴェイだって84年くらいのデビューでしょ? もうすっかりメタボなおっさんだよね。イングヴェイも実際に見聞きしたかったけどライブとかコンサートとか興味がなかったのね。ミュージシャンに惚れてるわけじゃないんだから、実物より記録媒体(レコードにCD)聴いていたらいいじゃんとかね・・・。


イングヴェイは大好きで、95年の「マグナム・オーパス」までは聴いていたんだけど、わが国の恥晒しバンドであるサザンオールスターズのような“いつも同じ曲”を聴くのに疲れて放棄してしまって、その後の彼を知らない。


片やパープルはというと、昔は「マシンヘッド」と「71年公演録音盤」のみしか聴いていなかった。その2枚を繰り返して聴くだけだったのだ。ただし・・・あたしが家庭内ギターを弾き始めたのは拓郎フォークからだったが、リッチーのギターフレーズを聴いてエレキギターに転向した。いいね・・・家庭内ギターって・・・。


パープルは、その後、紙ジャケ全部買って聴いたし、ま、一応はみな知っているんだけどって、こんな状態で今回の公演を聴きに行ったのだわよ。


以下自分のために続く。


開場30分前に東京駅に到着して、地下道を徒歩でフォーラムへ向かう。到着後、並んでたらすぐに開場。おっさんやおばちゃんばかりがぞろぞろと内部へ挿入。挿入後、買いたくなかったのに・・・なんだかみんなグッズを買いに並ぶので仕方なく(?)並んでTシャツとパンフを買う。パンフはデザインが悪く、中身も空き地に落ちてびしょびしょに濡れた汚いエロ雑誌のよう・・・とほほ。



さて、開演。モクモクとスモークが焚かれて・・・メタボリックなぶっとい足でパンパンになった伸縮自在のような皮パンだか生ゴムパンツを穿いたオデブちゃん登場。そうすると、みんな総立ちになってノルノル。ノリノリ。おいらも仕方なく席を立ち勃起。轟音のなか・・・大好きなくせに曲名覚えていない曲が始まって、女房のナマコちゃんと顔を見合わせて喜ぶ。だが・・・始めはノリノリで見聞きしているとインギーの独り舞台が続くのでうんざりしてきた。同じような曲を聴いてても飽きてきて同じようにはなるけど・・・実際に見聞きするともっと飽きるの早いね。



でもさすがテクニシャンなオデブちゃん。1曲の演奏中に、なぜかは知らないけれどおなじみのアイボリーな遺骨のようなストラトをポイって交換したりするのだ。そんなことするミュージシャン見たことも聴いたこともないよ。んで、ストらトをぐるぐる回したり、高く持ち上げたり、放り投げたり、アンプの上に置いて擦ったり、自分のオデブなお尻に擦りつけたり・・・して、好き放題する中でもきっちりと演奏しているんだから驚いちゃう。それに合わせて遺骨ストラトを交換したり放り投げられるのを受取ったり・・・裏方さんも大変だ。



しかし・・・それもだんだん疲れてくるのか、だんだん何を弾いているのかもわからなくなってきて弦を手でぶち切ったり・・・多分高価なお骨ストラトを粗末に扱いやがってぼこぼこにしてしまうのであった。


もしかするとこのむちゃくちゃな乱暴は交通事故の後遺症を隠蔽するということでなく、デビュー時のように、うまく弾けない(失礼)ストレスの解消なのであろうか。それともリッチーへのオマージュなのであろうか?


まだまだ自分のために続くのであった。


ついでに芸術家であるわたしが描いた、当日のインギーのイメージピクチュアを以下に贈呈しよう(笑)。


湯島の夜/湯島本店  Night Of Yushima

湯島の夜/湯島本店  Night Of Yushima


インギーの立ち位置は右側で、運動場のように広く設けられていた。多分、太っているから場所をとるんだろう(笑)。B、Key、D、Vなど左側にこじんまりとプレイしていた。インギーの皮パンは生ゴムの変態下着のようで笑えた。それにしてもあんなに動いても痩せないのはなんでだ? しかも・・・インギーの太ももは丸焼きにしたら旨そうだぞ・・・。

湯島の夜/湯島本店  Night Of Yushima


こんなには太っていないが、はっきりとした化粧したような歌舞伎役者のような顔が滑稽だった。