イングヴェイ&パープル最終公演にジョンロードが登場したわさ!!! | 湯島の夜/湯島本店 Night Of Yushima

イングヴェイ&パープル最終公演にジョンロードが登場したわさ!!!

ディープ・パープルに関しては音楽雑誌ストレンジ・デイズ2005年5月号を読みましょう。



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ツアーTシャツ 「イングヴェイって誰?」タイプ Mサイズ 表と裏


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パープルのパンフ。デザインも悪いし中身も無い。これで2500円って・・・これこそ無駄遣いであった。金返却してっ! ま、ジャニーズよりましか

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2009年4月15日東京国際フォーラム ホールA 1階 48列 13番&14番から舞台をのぞむ(i-phoneで撮影のものを補正したもの)。開演1時間前。


今日は眠いから、記事は明日書きます。うふふふ。


さあ、明日になりました。うふふ。


昨日は・・・うーん・・・昨日とか明日とかうっせええなあ(笑)。ま、いいや。昨日はイングヴェイ&パープル公演を見聞きしてきました。


書いていたらあまりにも長くなってしまったので、先に要点のみ箇条書きします。


1.会場後、会場内には「本日はイングヴェイ・マルムスティーンの日本公演にお越しいただきありがとうございます」と女性のアナウンスが流れた。イングヴェイがメインだったのか? と思っていたが・・・第1部はインギーだから第1部のことを指してそう言ったのだろうな。しかし、第2部に「ディープパープルの日本公演に~」といったアナウンスは流れなかったように思う。でも、1部、2部って分離していて、それぞれが単発でコンサートやるってのは変だよなあ。パープルの連中はインギーは前座だと考えているんだろうなあ。事実そうだったりしてね。


2.キーボードのドン・エイリーのソロ演奏場面にて会場が暗転したのちに明るくなるとジョン・ロードがキーボードを弾いていた。オフェラグラス(あたしのオペラグラス)で確認しても、ジョン・ロードであったよ。間違ってたらすいません。


3.開演は7時。イングヴェイは1時間ちょっとの演奏。その後、パープルの舞台設置に30分。パープル演奏は1時間50分で、公演終了は10時20分ぐらいになっていた。


4.イングヴェイがパープルに合流する「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の前の「スペース・トラッキン」演奏中のことだ。イングヴェイのマーシャルアンプが会場の隅に設置されたら、スティーブ・モーズのギターの音が出なくなった。 (インギーのマーシャルのコロ車がモーズのケーブルを踏んで断線したのかと思ったら、モーズが転んでケーブルの調子が悪くなったようだ。2chに前方で見ていた人が着込んでいた) 慌てるモーズ。そこへイアン・ギランがやってきて、モーズになにやら言っている。「イングヴェイのアンプを設置したら俺の音が出なくなっちまったよ」みたいなことをモーズが言ったようにオフェラグラスには見えた。そしたらギランが怒ってイングヴェイのマーシャルアンプを手で奥に押しやった。イアン・ギラン(パープル全員かもしれない)はイングヴェイが嫌いなんだなと見た。


5.イングヴェイ合流は「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の1曲のみ。モーズとギター合戦は「アクロバット奏法」ではモーズの負け、きっちりとした演奏ではイングヴェイの負け。モーズは控えめで人のいいギタリストと見た。このときも前曲のトラッキンからの影響によってモーズのギターの音がきちんと出ていなかった。


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で、ミナサンご承知のようにあたしは音楽好きではあるけれど、バンド編成や遍歴やバンドメンバーの生涯、さらにはアルバム、楽器等の“音楽全般知識”に関しては「無知状態」なのである。そんなものどうでもいいと思っているからである。でもそれではブログがまとまらない。「今日はなんだか知らないけどよい音楽を聴きました終わり」ではなんのことやらさっぱりわからないではないか? ブログはあたしの音楽視聴遍歴の覚書きなのであるから・・・してさ。


んで、湖の決心をしたというわけである。


アゲイン、んで、概要を伝えることもできないので、多少は調べてみっか的な実にいい加減な気持ちでこれを書いているわけである。


今回のディープパープルなんて彼らの全盛時には、50歳過ぎたあたしなんて痩身のブ少年。か細いラッパパンタロン継ぎはぎGパンを穿いた長髪のイケナイメンで、彼らの公演会場にだって行こうと思えば行けたのであるよ。第二期、第三期はね・・・。71年の日本公演にだって行けた・・・あれ14歳だったのか? 可愛い僕。メルシィボクゥほんじゃ行けないか? 14歳じゃね。でも再結成の84年には行けたのにさ。


いまだに過去の名誉を引きずる奴らみたいなこと言われてるけど・・・きっとコンサート会場に行ったことがないあたしに神様はチャンスを与えてくれたのだわ・・・ありがと産休、マイゴッド。きっとこれが彼らにとってもあたしにとっても最後のチャンスだったわけよ。


94年から加入したスティーブ・モーズって方には興味が無かったけど、今回はイングヴェイがメインだったのである。イングヴェイだって84年くらいのデビューでしょ? もうすっかりメタボなおっさんだよね。イングヴェイも実際に見聞きしたかったけどライブとかコンサートとか興味がなかったのね。ミュージシャンに惚れてるわけじゃないんだから、実物より記録媒体(レコードにCD)聴いていたらいいじゃんとかね・・・。


イングヴェイは大好きで、95年の「マグナム・オーパス」までは聴いていたんだけど、わが国の恥晒しバンドであるサザンオールスターズのような“いつも同じ曲”を聴くのに疲れて放棄してしまって、その後の彼を知らない。


片やパープルはというと、昔は「マシンヘッド」と「71年公演録音盤」のみしか聴いていなかった。その2枚を繰り返して聴くだけだったのだ。ただし・・・あたしが家庭内ギターを弾き始めたのは拓郎フォークからだったが、リッチーのギターフレーズを聴いてエレキギターに転向した。いいね・・・家庭内ギターって・・・。


パープルは、その後、紙ジャケ全部買って聴いたし、ま、一応はみな知っているんだけどって、こんな状態で今回の公演を聴きに行ったのだわよ。


以下自分のために続く。


開場30分前に東京駅に到着して、地下道を徒歩でフォーラムへ向かう。到着後、並んでたらすぐに開場。おっさんやおばちゃんばかりがぞろぞろと内部へ挿入。挿入後、買いたくなかったのに・・・なんだかみんなグッズを買いに並ぶので仕方なく(?)並んでTシャツとパンフを買う。パンフはデザインが悪く、中身も空き地に落ちてびしょびしょに濡れた汚いエロ雑誌のよう・・・とほほ。



さて、開演。モクモクとスモークが焚かれて・・・メタボリックなぶっとい足でパンパンになった伸縮自在のような皮パンだか生ゴムパンツを穿いたオデブちゃん登場。そうすると、みんな総立ちになってノルノル。ノリノリ。おいらも仕方なく席を立ち勃起。轟音のなか・・・大好きなくせに曲名覚えていない曲が始まって、女房のナマコちゃんと顔を見合わせて喜ぶ。だが・・・始めはノリノリで見聞きしているとインギーの独り舞台が続くのでうんざりしてきた。同じような曲を聴いてても飽きてきて同じようにはなるけど・・・実際に見聞きするともっと飽きるの早いね。



でもさすがテクニシャンなオデブちゃん。1曲の演奏中に、なぜかは知らないけれどおなじみのアイボリーな遺骨のようなストラトをポイって交換したりするのだ。そんなことするミュージシャン見たことも聴いたこともないよ。んで、ストらトをぐるぐる回したり、高く持ち上げたり、放り投げたり、アンプの上に置いて擦ったり、自分のオデブなお尻に擦りつけたり・・・して、好き放題する中でもきっちりと演奏しているんだから驚いちゃう。それに合わせて遺骨ストラトを交換したり放り投げられるのを受取ったり・・・裏方さんも大変だ。



しかし・・・それもだんだん疲れてくるのか、だんだん何を弾いているのかもわからなくなってきて弦を手でぶち切ったり・・・多分高価なお骨ストラトを粗末に扱いやがってぼこぼこにしてしまうのであった。


もしかするとこのむちゃくちゃな乱暴は交通事故の後遺症を隠蔽するということでなく、デビュー時のように、うまく弾けない(失礼)ストレスの解消なのであろうか。それともリッチーへのオマージュなのであろうか?


まだまだ自分のために続くのであった。


ついでに芸術家であるわたしが描いた、当日のインギーのイメージピクチュアを以下に贈呈しよう(笑)。


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インギーの立ち位置は右側で、運動場のように広く設けられていた。多分、太っているから場所をとるんだろう(笑)。B、Key、D、Vなど左側にこじんまりとプレイしていた。インギーの皮パンは生ゴムの変態下着のようで笑えた。それにしてもあんなに動いても痩せないのはなんでだ? しかも・・・インギーの太ももは丸焼きにしたら旨そうだぞ・・・。

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こんなには太っていないが、はっきりとした化粧したような歌舞伎役者のような顔が滑稽だった。