団塊世代は自己批判し総括せよ!「実録連合赤軍」を愚作と決めつけて | 湯島の夜/湯島本店 Night Of Yushima

団塊世代は自己批判し総括せよ!「実録連合赤軍」を愚作と決めつけて

以下はamazonDVD欄に投稿して没になったものです。

社会主義も共産主義の違いもわからない・・・理解しようとも思わない僕には、当時を卑屈に生きてきた監督が今になって何のために私財を担保に入れて金を作って製作したのかもさえ理解できないし、知りたいとも思わない。

一見、利巧に見えるが本を読んだだけだか単に周りの影響を受けただけなのか単純に感化されたこの愚か者たちはただの殺人集団でしかない。綾瀬の女子高校生コンクリート詰め犯人の少年たちと何の変わりもないのだ。その後、この人たちの大半は騒動後に資本主義に寝返って日本を金儲けと不正と不公平だらけの国にした。彼らの革命は心のない堕落革命でしかなかった。

彼らの無責任な意識だけはその後も残飯のように残っていて、何かというとやたらと「権利主義」を振りかざしてみる。それを見て育った子供たちも“団塊ジュニア”としてITを道具にした合理主義を進めている。

赤軍派の中のある意味純粋と言うか非現実主義な一部の人たちは“連合赤軍”となって一時だけは世界的なテロリストとなった。そして彼らが老人と化した今の姿を見れば、若気の至り的な無意味な行動であったことが明白だろう。

さて、映画である。当時を知らない団塊ジュニアの俳優たちが欠伸が出るほどダラダラと“屁理屈”だけ話して終わる、この映画には存在理由はまったくない。こういった映画は犯行当時に製作するべきものだったのだ。

今、製作するのであれば、このようなドキュメントだかなんだかわからない半端な・・・まるでTVのドキュメントスペシャルみたいな隙ばかり粗ばかりの陳腐な作り方をせずに、はっきりとエンタティメントとして愚か者たちの残酷な行為を批判し、団塊世代の反省を促すものであればよかったのにと思う。

団塊の次の世代である僕には当時から彼らの偽者の団結心が嫌いだった。だからこういった半端な作品はどうにも我慢がならないのだ。ジム・オルークの音楽も映画に全然合っていない。この音楽のせいで物語にしまりがなくなっている。これだったら「コスモスファクトリー」を再結成させるとか「秋田昌美」とか「非常階段」にすりゃいいだろうに・・・と真に残念な作品である。

ケチばかりつけているのはどうかと思うので、少し褒めましょう。彼らが惨めな水戸天狗党のように山中を彷徨う画像は美しくて評価できる。軍事訓練を受けたこともない愚か者たちのままごとのような軍事訓練シーンもいいし、その中の女性、重信房子の親友であった遠山美枝子を見て女性としての嫉妬の炎を燃やす永田洋子・・・というところもいい。

浅間山荘に籠城の後半、そこには機動隊もお決まりの鉄球も犯人たちの家族の説得なんかも“映像”としては出てこない。ただただ、音や火薬効果で表現するのみ。ここは映像としてみてみたい僕は不満であるが、ただ、金のかからない・・・しかも官憲側を扱う必要もない・・・と打ち捨てるところはなかなかいい。

ただし、屋内シーンになると、なんでこうもテレビの再現ドラマ風なのだろう。安っぽくておならも出ないのである。

とにかく・・・貧富の差もあまりなく裕福な発展途上にあった当時の日本には学生闘争なんかなんの意味もないただのお祭り騒ぎでしかなかったのだ。